2011年5月22日日曜日

SIG-GLOCなれそめ(1)

ブログを立ち上げて、すっかりそのままになっていて、どうもすみません。共同世話人の小野憲史です。とりあえず、グローカリゼーション部会がどんな風にスタートしたのか、忘れないうちに書いておこうと思います。ポイントは1点で「人の縁は大切に」ということです。当然ながら実名がバシバシでてきますが、そこはそれ記録ですので、なまあたたかい目でご了承ください。

もうホントに最初までさかのぼると、2000年の夏のことになります。当時僕はゲーム批評という雑誌の編集長をしていて、すでに辞めることが確定していました。そんなころ当時、名古屋大学の大学院生だった中村彰憲さん(現:立命館大学准教授)から、研究に協力して欲しいという依頼の電話がありました。中村さんとは今でもチャイナジョイに一緒に行ったりと親交がありますが、最初のつきあいはここからです。

しばらくして、中村さんの紹介で、当時Gamespotの日本特派員をしていたDan Tochenから、ファミコンの展示会「レベルX」について問い合わせがありました。キュレーターに取材をしたいというのでご紹介し、いろいろと展示のお手伝いをしていたご縁もあって、一緒に取材を受けました。記事はこちらで読むことができます。2003年のことで、若いなー僕。

でもって2006年のGDCで、Danから「前に講演を聴いて、すごく良かったスピーカーが、GDCでも講演するみたい。良かったら聞いてみたら?」とのメールがありました。たまたま、そのスロットが空いていたので、冷やかし半分で行ってみたら、非常におもしろかった。それがIGDA日本IFブログでも紹介された「愉快 対 不愉快 『カルチャーエッジコンテンツ』のバランスをはかる」です。英語の講演だったので、いまいち理解できませんでしたが、でもスライドを見ているだけで、これはすごい講演だと言うことが、よくわかりました。

講演の後で「Danの紹介で講演を聴きに来たんだけど、すごくよかった」と挨拶したら、スピーカーのKate Edwardが非常に喜んでくれて、メールのやりとりが始まりました。たまたま二人ともIGDAのメンバーで、その点でも共通の話題がありました。「スライドを日本語に翻訳したら、IGDA日本で紹介してくれる?」「OK」みたいなやりとりがあり、スライドを公開したり。翌年の2007年にはDiGRAが東京で開催されたこともあり、Kateが東京ゲームショウとあわせて、来日してくれました。DiGRAでは一緒に打ち上げの飲み会に行ったりしましたっけ。

んでもって翌年、KateからIGDAでLocalization SIGを立ち上げること。翌年のGDC2009でローカリゼーションサミットを開催することを知らされました。それはすごいとGDC2009で取材に行ったら、パネルで壇上に登壇されたセガ長谷川さんと、会場にいたナニカの稲葉さんと、バースデイソング音楽出版のエミリオさんと4人で、日本でも同じような活動をしたいという話になりました。そこから最初のキックオフに繋がったという感じです。

こうして振り返ると、GDC06でKateの講演を聴いて、それっきりにしないで、ちゃんとフィードバックを送ったこと(具体的には講演終了後、名刺交換をして簡単な挨拶をしたこと)が、非常に大きかったと思います。英語でのつたない会話で、正直ちょっと恐かった部分もありましたが、一歩前に踏み出してホントに良かったですね。

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